「なぜこの仕事をしようと思ったんですか?」
はじめまして、旗の台整体院 院長の飯田直毅です。
「なぜこの仕事をしようと思ったんですか?」
そんな質問をされることがよくあります。当院の目的や考え方にも繋がることなので、こちらでお答えしようと思います。
一言でいうと「自分らしく正直に生きられる仕事だと思ったから」
かなり照れくさいセリフですが、それが一番の理由だと思います。
この仕事に出会う前は、ものすごく自分らしくない仕事を必死に頑張っていました。
それがあったからこそ今があるのですが、本当に嫌な性格になっていたし、言動もとげとげしかったな~と、懐かしく思い出します。
そして、この旗の台整体院の院長になった理由。1人ではなく、スタッフとチームでやっている理由。
もしご興味のある方は、かなり長いですが(笑)以下お付き合いください。
不動産のゴリゴリな営業マンでした。
私が大学を卒業した2003年というのは、いわゆる就職氷河期の真っ最中でした。
さんざん面接で落ち続けて心が折れかける中、やっと内定を頂けたのが、ある不動産会社での投資用マンションの営業という仕事でした。
極端な成果主義の会社で、初任給は高い方でしたし、契約がとれれば高額な歩合がつきました。新卒でも契約さえ続けてとっていれば、すぐに昇進、昇給もできました。
ただし契約が取れなくなると、かなり気合の入った発破をかけられ、追い込まれて立ち直れない社員も多く、毎週誰かが夜逃げのようにして辞めていく、そんなスリリングな職場でした。
同期が続々と辞めていく中、私は夏に初契約ができ、その後も3カ月連続契約で表彰されたりして、若干調子に乗りかけたのですが、それも続かず。
同期や先輩が追い込まれて病んでいく中、いつ自分もそうなるかというプレッシャーとストレスはひどいもので、体調もおかしくなっていきました。
もうニンニク注射でも無理。
全身の疲労感、背中の異常なハリ、目が重く開けているのがつらい、顔の火照り、ずっと続く微熱、すぐできる口の周りの吹き出物…
今思えば自律神経が乱れまくり、うつの一歩手前だったかなと思います。
毎日何本も飲む栄養ドリンクや、すぐ使い切ってしまう目薬、一時的にもの凄く元気になれるニンニク注射(笑)などを駆使してしのでいました。
契約がとれなければ休みは月に1日だけ。帰りは終電かタクシーかカプセルホテルだったので、朝までやっている中国整体にもよくお世話になっていました。
施術が始まるとすぐ寝てしまうのですが、この時間は数少ない安らげるひと時でした。
冬になり、ついに契約が取れなくなってきて、必死に成績上位の先輩の真似を続けたのですが、自分の言動が、とげとげしく攻撃的になっていることに、ある時ふと気が付いて、愕然としました。
「このまま続けて、例え出世して高給取りになっても、今のような自分でいるなら全然幸せじゃない。」
就活でさんざん苦労したので、転職ができる気は全くしませんでしたし、正社員でいるだけ幸せなんだと自分を洗脳してきましたが、もうそれも限界で、年末に意を決して会社を辞めることにしました。
40人いた同期は、この時もう4人に減っていました。(そして数年後、この会社は倒産しました…)
不健康すぎたので、健康な生活に憧れる。
会社を辞めて実家に戻ったお正月。
久しぶりにのんびり過ごしてみたら、会社員の頃ずっと治らなかった口の周りの吹き出物がきれいになくなっていました。
やはり相当ストレスが溜まっていたようです。
しかし元来仕事自体は好きですし、まだ24歳の働き盛り。1週間もしないうちに、仕事がしたくなってきました。
せっかく会社員を辞めたことですし、何か法律系の資格でもとって、いずれは独立なんてどうだろうと思い、 資格の情報誌を見ていたら、後ろの方に整体師、カイロプラクターなどのページがでてきました。
それまで全く考えていなかった職種です。
でもなんとなく自分が整体師になっているところを想像したら、「ちょっと面白そうだな」と思えました。
会社員の時に整体には随分助けられたし、過労とストレスを栄養ドリンクやニンニク注射でごまかすような不健康な生活が嫌だったためか、人を元気にさせて、自分も健康に生きる仕事が、すごく魅力的に感じられたのでした。
ここからカイロプラクティック、整体、柔道整復、鍼灸、オステオパシーなど、手技療法の世界について調べる日々が始まります。
選んだのはカイロプラクティック。
道具を使わずに手だけで身体を改善できる。
背骨の歪みを整えて、神経のはたらきを正常にする。
これが自分にもできるようになるとしたらすごいことだなと一番心惹かれたのがカイロプラクティックでした。
何校か学校説明会や授業見学に行く中で、「カイロプラクティックほど素敵な仕事はない」という大川泰学院長の著書を読んで興味を持っていた大川カイロプラクティック専門学院にも行きました。
説明会で、本物の大川学院長からのお話に感銘を受けていたところで、 後の師匠となる安藤崇院長と出会います。
個別相談ということで、色々と質問をさせてもらったのですが、本を読んで疑問に思っていた、こんな質問をしてみました。 「カイロプラクティックで地域の人を治し続けたら、そのうち全員健康になって仕事がなくならないのですか?」すると、
「もちろんカイロプラクティックは人の身体をよくするけど、その真価はよくなった身体をメンテナンスすることなんです。」
という答えが返ってきました。
「痛くもないのに、予防として治療院に通う人がいる。それがこの仕事の真価だと言っている。」
このことに得体のしれない衝撃を受け、まだ理解はできないけど、この先生にもっと色々と教えてほしい。なぜかそんな気持ちになりました。
そしてこれを機に大川学院への入学を決意しました。
大川学院に入学、そしてインターン実習。
昼は契約社員として営業マン、夜と土日はカフェのアルバイトをしながら学費を貯めること1年。
晴れて大川カイロプラクティック専門学院に入学することができました。
大川学院では、メイン講師の他に、現役施術家も実技インストラクターにつくのですが、金曜日の担当が、あの説明会でお会いした安藤先生でした。
安藤先生には、授業の内容をもっと詳しく教えてもらったり、現場の治療院でのお話もたくさん聞かせて頂きました。 仕事にかける思い、信念などをいつも熱く語っていて「いつかこの先生のところで修行がしたい」そう思っていました。 そしてその夏から、毎週土曜日に、安藤先生のとごし銀座院にインターンとして実習に行けることになったのです。
憧れの師匠に弟子入りし、3年間の修行。
週一回のインターンに行き始めてから9ヶ月。当時の副院長が独立開業することになり、スタッフ採用のチャンスが巡ってきました。
とごし銀座院はグループ内でも特に人気で、他にも就職希望者はいたようですが、インターン後に飲みの席に出続けたのが実ったのか(笑)採用して頂くことができました。
それから3年間、安藤院長のやっていること、考え方、全部盗んでやろうと思って、なんでもメモし、どこへでもくっついていくようにしました。
院長も私も、当時は独身だったこともあり、ほとんど毎日、仕事の後も飲みに行っていました。
安藤院長は人望が厚く、開業している院長や他院のスタッフが相談に来ることもよくありました。 そんな時に、師匠はどう答えるのか、それを隣で聞き続けたことも、非常に勉強になりました。
安藤院長の答えは、いつも一貫していました。患者さん、スタッフ、他の人へ話すこと。裏表がなく、信念に従っていつも正直でした。
私の不動産時代の、自分にウソをついて、お客さんにウソをついて、それを無理やり正当化して…そんな仕事の仕方、生き方とは全く違いました。
自分も仕事を覚えて、まわりの色々な人に喜ばれる、師匠のような人間になろう!という想いを強くしていく日々でした。
当時のスタッフはみんな意識が高く、後にみんな独立開業している程ですが、そういうメンバーとチームを組んで働いたことで、自分一人よりも、チームの力を活かせれば、患者さんにより喜んでいただく施術、サービスができる そんな風に身を持って感じていました。
開院を決意、そして旗の台の院長へ。
修行3年目は、副院長を任せてもらいました。後輩スタッフは5人ほど。院長の不在時は、このチームをまとめて、後輩を指導する経験もさせてもらいました。
施術だけでなく、院の運営に関することは、希望すれば何でもやらせてもらえました。
この太っ腹な育て方のお蔭で、(もちろん厳しい指導もありましたが 笑)だんだん自分のスタイルで仕事ができるようになっていきました。
安藤院長のすぐ近くで仕事をすることは、物凄く勉強になりますが、 自分がいることで後輩が遠慮したり、他に学びたい人のチャンスを減らしてしまっていることも気になってきていました。
「石の上にも3年。安藤先生からしっかり勉強するのよ~」
これはとごし院の常連患者さんにも言われていたことですが、 まずは3年、みっちり修行させてもらいました。
ここからは、師匠の意志を受け継いだ自分も、院長としてスタッフを育て、チームを作って、より多くの方に喜んでいただける院を作って行こう。
それが自分もやりたいことだし、師匠も喜んでくれる道だ。
そして氷河期の中、早々に会社を辞めてしまった自分に、こんなにやりがいのある、自分に正直にできる仕事を教え込んでくれた師匠に少しでも恩返しがしたい。
そう開院を決意したところ、ご縁があって、この旗の台整体院の院長を引き継ぐことになりました。
骨を埋めるつもりで。
2003年から6年間続いてきた旗の台院は、2009年に私が引き継ぐのと同時に、1.5倍ほどの広さとなる今の場所に移転・リニューアルをしました。
探し始めてたった数時間で出会えた、理想の店舗でした。ご縁があったな~、と今でも有難く思います。
実はその前に半年ほど、新規の直営院を開院しようと、大岡山や大森などで店舗探しをしていたのですが、結局は契約まで至らなかったものですから。
そして今、私の就任時に3人だったスタッフは、この7年で8人まで増えました。
その間に、初期スタッフの島本は愛媛の松山、下園は東京の北千住でそれぞれ開院しました。
また、当初より独立開業を目指していた山路は4年の勤務の後、福岡の大橋で、鳥井は2年半の勤務の後、兵庫の岡本で、野上は5年の勤務の後、埼玉の東大宮で、鈴木は4年の勤務の後、目黒区の大岡山で開院し、それぞれの夢を形にしてきました。
私は、この旗の台に骨を埋めるつもりで、長期メンテナンスを提供する院を作りました。
「治すだけでなく、予防のメンテナンスをする。」10年前によくわからなかったこの感覚が、今ははっきりとわかります。
そしてこの10年で、「あなたの『こうなりたい』をサポートする」 そう当院の目的は進化を遂げました。
そのため、施術の技術はもちろん、体の状態と変化を目で見て実感できるための検査方法や機器を充実させたり、栄養、睡眠、運動や、ストレスケアもより具体的にサポートできるように日々取り組みを続けています。
この世界に足を踏み入れた時、師匠に出会ったとき、院長になったとき、その想いをいつまでも忘れず、素晴らしい仲間たちと一緒に、この旗の台整体院を「地元で必要とされて、長く愛される院であり続ける」ように、 地道に丁寧に、日々楽しんでやっていきたいと思います。
長文お付き合い頂き、有難うございました。
旗の台整体院 院長 飯田 直毅